忠犬ハチ公の日である4月8日には、1936年から慰霊祭が行われています。
「忠犬ハチ公銅像及び秋田県群像維持会」(長いですね…^^;)が制定したものなんだそうですよ。
忠犬ハチ公像は、渋谷の待ち合わせ場所でよく利用されてもいますし、「忠犬ハチ公」自体、日本中で有名な存在ですよね。
有名なのは、あまりにも飼い主に忠実な様が、美談として語り継がれてきたから。
そんな忠犬ハチ公ですが、実は美談でもなんでもないという裏の話があるのをご存知でしょうか?
別角度からみた忠犬ハチ公の真実をご紹介します。
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忠犬ハチ公の経歴と美談のあらすじ
ハチは1923年に父犬オオシナイと母犬ゴマの間に誕生。
最初の飼い東京帝国大学農学部教授「上野」の元へやってきたのは、1924年1月14日のことです。
ハチは、主人の上野を出勤前に玄関先や門の前で必ず見送り、時には最寄り駅の渋谷駅まで、送り迎えするほどでした。
しかし、ハチが飼われてから1年余りで(1925年/大正14年5月21日)主人、上野は脳溢血で急死します。その後、ハチは3日間何も食べず、また通夜が行われた日も上野を渋谷駅まで迎えに行っていたのです。
ハチはその後、上野の妻、八重の親戚の呉服屋に預けられましたが、客商売ということで問題があり、転々と飼い主を変えました。その間またハチのことで飼い主と近所の住人と揉め事があり、結局は、渋谷の上野宅へ戻っきてしまいます。
渋谷に戻ったハチは、近所の畑を走り回り作物をダメにして、再び揉め事を起こしてしまうんですね。
最終的には、上野宅に出入りしていた植木職人でハチをもともと可愛がっていた小林菊三郎という人物のもとに預けられました。
ここまで、上野が亡くなってから約2年余り。
この頃から、上野が帰宅していた時間になると渋谷駅でハチが頻繁に目撃されるようになりました。
しかし、その当時の飼い主の小林にもハチは可愛がられていたにも関わらず、渋谷駅通いをしていたのです。
食事のためだけに小林宅に戻って、また渋谷駅に向かうという生活だったようです。
しかも、ハチが渋谷駅に向かう途中には必ず旧上野低に寄って、中を覗いていたとのことです。
渋谷駅で故主を待つようになったハチは、人々に虐待されたり、子供に悪戯されたりすることもありました。
事情を知っており、それを見ていて可哀想に思った日本犬保存会初代会長である斎藤弘吉は、ハチのことを新聞に寄稿し、掲載されたのが「いとしや老犬物語」というタイトルの記事です。これがたいへん人々の心を打ったのです。
ハチは、翌年にも新聞報道され、より広く知られるようになります。
こうして、「ハチ公」と、親しみを込めて呼ばれるようになりました。
ハチのために、食べ物をもってくる人も多くなり、渋谷駅側でもハチの寝泊まりを許可するようになったんですね。
上野が亡くなってから10年近く経った1963年3月8日に、ハチが普段行かない場所で死んでいるのが発見されました。ハチの死後、渋谷駅で告別式が行われ、上野の妻、小林夫妻や駅、町内の人々が参列しました。
いまハチは、上野と同じ青山霊園で亡き主人の墓の隣に葬られています。
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いつ何時もアンチはいる~忠犬ハチ公の真実とは?
こんな美談で飾られた忠犬ハチ公物語ですが、本当の真実はこんな綺麗なものではない!とこのような美談に異論を唱える説もあるんですね。
そもそも上野は、大学教授の職務上、通勤時間も不規則であり、ハチ自身も上野の通勤などには無関係に渋谷駅や周辺を歩き回っていたということです。
こうした事実を知らない駅員がハチを忠犬と思い込んだということですね。
ある意味、戦時中多用されたであろう、忠義という言葉の宣伝のために利用されたとも考えられます。
そしてハチが毎日のように渋谷駅にやってきていたのは、駅前にあった屋台で焼き鳥が貰えるからだというのです。
事実、死後に解剖されたハチの胃の中からは数本の焼き鳥の串が残っていました。
とは言え、矛盾点としては、屋台が始まっていない朝にもハチの姿が渋谷駅で確認されています。
ハチは、小林宅を毎日午前9時頃に出て、しばらくすると戻ってきていました。夕方は午後4時前に出かけて午後5時から6時頃に戻る。この時間帯は上野の出勤帰宅時間と同じです。
なお、胃の中に焼き鳥が残っていたことについても、ハチが餌を貰えるようになったのは、亡くなる前の2年程度。美談として報道されて有名になってからの期間のみです。
その前には、むしろ虐待を受けるほどでした。
どうこう言う以前に、その頃の飼い主にきちんと餌を与えれて、食べ物には困っていなかったハチが焼き鳥目当てに駅に入り浸ることはしない…というものです。
渋谷駅での待ち位置は屋台前ではなく、上野が出てくる改札口に直行して、そこで座っていたのは間違いないということなんですね。
この真実…というか異論が出てきたのは、「有名になると反対派がでてくるもの」とハチ公の美談を知らしめた斎藤弘吉は自身の著書の中で反論しています。
因みにハチの組織標本を採取して精密検査したところ、心臓に重度の浸潤性癌と灰に転移性の癌が確認されたそうです。この再検査は、2010年からの開始され2011年に発表されたものです。
ハチの死亡後の解剖では、心臓と肝臓に大量のフィラリアが寄生し、腹水が貯留していたということはわかっていたのですが、75年以上も経ってからもっと詳細が明らかになったとうことですから…全く、医学の進歩ってすごいですね~^^;
結論~忠犬ハチ公の本当の真実はわからない
日本人なら(大げさですが)誰もが知っている美談中の美談、忠犬ハチ公物語。
有名な話であるばっかりに、異論が出てくるのは仕方ないんでしょうね。
こういう話は、実は○○だった、真実はコレだ!みたいな結びの方が面白いに決まってます。
実際、上野という人がいて、ハチという犬がいた…っていう事実があることは確かなのです。
その時のハチの気持ちはどういうものであったか、本人(もとい本犬)しかわかりません^^;
話に尾ひれが付いて…とまでは言えませんが、なにかしら少し捻じ曲げられて伝えられている部分もあるかもしれないですよね。
本当の美談か…はたまた、真実と言われている話が本当なのか…知っているのはハチ公だけ…かも?
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